がんばれっ永島君
れぽーと


さて、当ショップチーム員ですらほとんどの人が面識のない関西人「永島」君。
彼がどうしてうちのショップに所属しているのか?
彼はどういう人間なのか?人間!?あ、にんげんじゃないかも....!
彼についての質問があるたびに答えるのが面倒なので(笑)、このページ作っちゃいました。

本当に暇な人が、どうしてもやることが無いときに「誰よ、これっ?」と読み流してやってください。

ある全日本の永島ゆうじ!
2005 JAF全日本ジムカーナ第2戦 SA1クラス 優勝!
*画像が悪くてすみません。

今回は地元名阪スポーツランドでの開催だったため、自宅の布団で寝ることができた。
隣にキャンギャルをはべらせご満悦な26歳おとめ座。3位で隣に立っている八木克子嬢(私的には「ながしま」ではなく全日本でお立ち台に立つLドラのトップ、憧れの゛ヤギ克゛をHPに載せたいぐらいだ!笑)があまりのテンションに引いている。
俺、1位なのに取材されてなぁい!!」ときょろきょろ何かを探しながら嘆き悲しむ。

仕方ないのでPD誌ライターさんに「ごめんなさい、優勝ドライバーなのでインタビューしてやってくださぁい!」と無理やりお願いして取材してもらう。

記事になるかは、私ゃ、知らんがなっ!(笑)
 
優勝コメント 昨日おとといの練習走行は良かったのですが本番の1トライ目は少し気合が入りすぎてぎこちないコーナリングが続きました。(見ていてもそのとおりでした。ゆ!)
でも地元なんで頑張らなきゃと一生懸命走った。ターンが決まったようで良かったのですがまだターンだけ見るとライバルに0.2秒近く負けているように感じます。(しかし今回の1トライ目の270度ターンは私の位置から見た限りでは完璧、100点でした。ちなみに私は人の走りに100点をつけたことは今まで1度も無いほどシビアに走行を見ています。)
2トライ目は気合入りすぎてダメでした。
結果はラッキーです。ありがとうございました。 

きっかけは

2004年の2月頃、まだ大槻がFDのN車クラスで全日本を追っていたときの事である。
その頃サーキット走行が苦手だった大槻氏は足げく名阪スポーツランドに通っていた。
(ちなみに大槻おとうちゃんは家ではおこずかい制だそうで、オール下道片道9時間かけて定休日をはさんで
通っていたのだ!)
そのときにやたら元気はいいが突っ込みすぎのCR-Xがいて、APEX社のN1ダンパーを市販で使っていた。
1日話しをしているうちに彼がこの1年間全日本ジムカーナを追うことがわかった。
直感的に大槻氏は「走りはまだまだだけど際のコントロールをする瞬間がある。足をなんとかしてやりたい」と思ったそうだ。
そしたら
いきなり手紙で企画書が届いた。
全日本に出るからダンパーの仕様変更の面倒を見てくれという内容だった。
もちろんトオル氏は反対。
「走りを見ていないのでなんとも言えないよ。ミドルぐらいのドライバーならチーム員にもわんさかいるし。知らない子を見るならチーム員のダンパーサポートを充実させてあげたいぐらいだ。」
ごもっとも。
TTはいつも自転車操業の経営難ショップなので、チーム員にすらきちんと成績を残したもの順にしかサポートをしてあげられない切羽詰まった事情があるのだ!(苦)
しかし今回は大槻氏が引かなかった。
「俺が1年見てるから、もしかしたら成績が出てくるかも知れないから、じゃそうしたら条件を見てやってくれ」
まずは有償。でもダンパーセッティングは見ることとなった。
2004年前半
本当に関東ではミドル上位もやっとぐらいのドライビングだった。しかし大槻氏の言うとおりトップスピードから適正スピードに持っていく減速と進入の形が気持ちいいぐらいに決まる。感がいい。上手くなるかも知れない。

ま、そんなことよりもこの痛烈なキャラクターに負けたよ、私ゃ!
練習走行後、必ず言ってくる。
「俺の走り撮ってました!?」
事前に言われていれば撮っているのだが宿も違うので分析ができないし、....というか、こいつは宿無しだった!(笑)
ホテルはと聞くといつも「ホテルCR-X!」夏はエアコン無し、冬は鉄板むき出しのタイヤ満載車の中で体を伸ばせないまま固まって寝るんだ!撮ったとしても一緒に分析するわけでもないのに不思議な奴?
聞くと「あとで永島君の1年間の成長をVDに編集するんだ!」と言っていた。(笑)
2004年後半
急激に走りに安定感が出てきた。
つまらないライン取りや、(?)と思われる発言も自分なりに答えが出てくるのかしなくなった。
たった半年である!
ショップをやっていると壁にぶっかったドライバーはいつも同じ現象を口にして悩んでいるのがわかる。それはそれで辛いのだよね。慰めながら時には激励しながら、早くその「できない=ほんの少しの感覚のズレ」であることに気がついて欲しいと祈るばかりだ。「感覚」1人1人違うもの。なのでこればかりは本人が自分で気がつかないと理屈がわかったって直ったようで直らない。

しかし彼は何か悩んでも3度は言わない。同じミスはあまりない。

そんな成長の早さを半ば感心していたら最終戦、勝ってしまった。

ライバルが筑波コース1000の1コーナーでブレーキを踏まなかったので、自分も踏みたくないと頑張ったのだと言う。
雨である!
見ていたら、すっ-と車速を落として本当にそのままノンブレーキで曲がってしまった。「うっ、スピンするか!?」と緊張したのもつかの間、ちょっと進入ラインは広がったがほぼ車速を落とさずに1コーナーを踏んで行ってしまった。おかしいよ、なんでそのまま踏んじゃえるの?本当に!

トオル氏もこのVDには脱帽したようだ。
かくして、堂々と「TTのダンパーサポートドライバー」と名乗っていただけるようこちらからお願い申し上げたいという半ば降参したTT3人衆であった。
シーズンオフは
今年の彼のダンパーの仕様は思いっきり踏んでいく彼のスタイルに合わせた。
仕様が変わっているのに何も言ってこない。多分着いてりゃいいんだろっ(笑)!
どちらにしろ、昔CR-XやらEGやらのN1ダンパーの仕様変更は自分達が乗っていない分たくさんのドライバーの好みを聞いて試行錯誤したデータを山ほど持っている。何か言ってくるようになったらそれはそれでまた面白いものができるかも知れない。

元チーム員に転勤で関西にいるSW20乗りがいる。
今は「親方」と呼ばれて関西方面でも知らない人は少ない。(...ぐらい癖が強い。笑)
私がSW20に乗り始めた頃は明け方や夜中によく山奥の「コソ錬」に連れて行ってくれた面倒見のいい人である。
いつのまにか永島君、親方と焼き鳥を食べに行くほど仲良くなっていた。(笑)

こうして「ガレージTT関西部隊」が誕生したのである。
2005年は

今年は全部ちゃんとした布団に寝られるところに宿泊した。

寝たおかげなのか「初めてちゃんとできるようになった」サイドターン(←関東でこんなこと言ったらみんな絶句します)のおかげでサイドセクションを含めたコースでもみるみる順位をのばし、とうとうシリーズ2位という輝かしい成績でシーズンを終えた。

ボディがよれて床がボコボコしているCR-Xで2006年も引き続き全日本ジムカーナシリーズを追う。

やっと最近言動が人間らしくなってきた永島選手の応援を今年もよろしくお願いします!
2006年

本当に....
本当にチャンピオンをとってしまった。
特に後半戦のコンセントレーション、試合運びはいつのまにかトップドライバーであった。脱帽!
2007年も全日本ジムカーナ2連覇を狙います。
2007年
本当に....
本当にみんなの予想(今年はシリーズ6位がいいとこかな?)をよそに連続チャンピオンをとってしまった。もはや完全にトップドライバーである。

しかし野望はここで終わらなかった.....。
2008年!
「リア駆動で戦ってみたい....」

お金の無い永島選手にN3クラスのリア駆動車が買えるわけも無くその気持ちは夢で終わるはずだった。しかし夢は同じTTサポート選手である「むねピー」が2つ返事でかなえてくれた。

「自分のエスを貸そう。頑張ってみてくれる?」


2年連続「テンロクFFチャンピオン」は今年「オープンカーリア駆動」を制することができるだろうか!?